大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成5年(ヨ)399号 決定

債権者

岨幸二

債権者代理人弁護士

竹下政行

債務者

株式会社駸々堂

右代表者代表取締役

大渕馨

債務者代理人弁護士

中筋一朗

益田哲生

爲近百合俊

種村泰一

主文

一  債権者が債務者に対し、別紙一労働条件目録記載の内容を有する労働契約上の地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、金四〇万円及び平成六年四月から本案の第一審判決の言渡しに至るまで毎月二五日限り一か月金一〇万円の割合による金員を仮に支払え。

三  債権者のその余の申立てを却下する。

四  申立費用は債務者の負担とする。

理由

第一申立て

一  債権者が、債務者に対し、別紙一(略)労働条件記載の内容(及び 勤務内容 債務者奈良大丸店学習参考書担当)を有する労働契約上の地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、平成五年二月以降毎月二五日限り金二〇万五〇七八円を仮に支払え。

三  申立費用は、債務者の負担とする。

第二当裁判所の判断

一  本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実を一応認めることができる。(争いのない事実を含む。)

1  債権者は、昭和五八年一一月一六日、株式会社駸々堂書店に定時社員として入社し、以降同社奈良店及び奈良大丸店に勤務し、学習参考書部門担当として働いてきた。

債権者の平成四年七月から一一月までの労働時間、賃金は次のとおりであって、平成四年九月から一一月までの賃金総支給額の平均額は、二一万八九二一円である。

労働時間 時間給 総支給額

平成四年七月 一九九時間 九五六円 二一万一二二二円

八月 一八三・二五時間 九五六円 二一万四〇二五円

九月 一八四時間 九六六円 二二万二六三四円

一〇月 一六八時間 九六六円 二〇万九一一九円

一一月 一八三・五時間 九六六円 二二万五〇一二円

2  債務者は、旧商号株式会社駸々堂書店(以下「大阪駸々堂」という。)が平成四年一二月一日、株式会社京都駸々堂(以下「京都駸々堂」という。)を合併して商号を変更したもので、書店での書籍類販売を主要な事業内容としている。

3  債務者(大阪駸々堂)には定時社員を対象として効力を有する就業規則である定時社員服務規則(〈証拠略〉、以下、「旧就業規則」という。)があり、債権者ら定時社員の労働条件(勤務時間、休日、年次有給休暇、賃金)は、定時社員服務規則に規定されていた。これによれば、債権者の勤務時間は原則として午前九時から午後五時まで、休日は一週一日、年次有給休暇年二〇日、給与は、初任時間給は、五三五円とし、以後三ケ月ごとに一〇円づつ昇給する、出勤奨励手当は一ケ月二三日以上出勤した場合三〇〇〇円、二〇日以上出勤した場合一五〇〇円、賞与は支給しない(債権者の勤務時間は、午前九時三〇分から午後五時三〇分であり、実際の扱いは、定時社員である債権者にも別紙一のとおり賞与が支給されていた。)となっていた。

また、定時社員の雇用期間は、期間に定めがないものとされていた。

4  大阪駸々堂は経営が悪化して、平成四年七月には、約二億円の資金不足となり、金融機関から援助を受けるにあたって経営改善策が求められ、人件費の削減の必要があり、従業員の労働条件の改訂が検討された。一般社員については、新就業規則にもとづく労働条件の改訂を労働組合に申し入れたが、同意が得られず、いまだ改訂は実施されていない。定時社員については、会社の合併と同時に京都駸々堂の労働条件と同一内容の新就業規則に改訂を予定し、組合員については、新就業規則にもとづく労働条件の改訂を労働組合に申し入れたが、同意は得られず、いまだ改訂は実施されていない。右改訂を行えば、長期にわたって勤めてきた者については、時給が下がることになるので、定時社員のうち、非組合員については、労働条件の改訂実施について、各個人の同意を得るという方針が定められた。そこで、各店長から各定時社員に書類を交付して定時社員雇用契約書に署名捺印を求め、一部の者を除いて署名捺印が得られ、了解が得られたとして実施されている。梅田店で勤務していた勤続一三年の定時社員の高城冨枝は、右契約書への署名を拒否して会社合併後の現在も旧労働条件のまま勤務している。

5  平成四年一一月の半ばを過ぎた頃、債権者は、奈良大丸店長小林に呼び止められ、「これ読んでおいて欲しい、何か意見があったら後で聞かせて欲しい」といわれ、「定時社員雇用契約書」と題した空欄が白紙の用紙(〈証拠略〉)と「アルバイト・パートのみなさんへ」(〈証拠略〉)「アルバイト・パートの新雇用契約」(〈証拠略〉)と題した各書面、慰労金の額(六〇万円、〈証拠略〉)が明示された書面がはいった封筒を渡された。(証拠略)には、一二月一日に会社が京都の駸々堂と合併して新会社が誕生することになり、新しいルールで仕事をしていくことになること、一二月二一日にこれまで勤務したことに対して慰労金を支払うこと、及び、「また、一二月一日から新会社での新しいルールのもとで、ご勤務していただける方は、一一月二五日までに会社までご連絡ください。」との記載があり、(証拠略)には、新雇用契約が、雇用期間、仕事の内容、勤務地、勤務時間、休憩時間、休日、休暇、賃金につき具体的に記載されていた。債権者はこれを読んで、会社の合併についても初めて知ったが、これまでの労働条件が反故になり、慰労金が支払われ、会社を辞めるか、新しい労働条件で働くかを選べということだと理解して、驚いた。その数日後、債権者は三条店で残業していた小林店長に会いに行って、二階で話をするべく階段を上がる途中に、小林店長に対し、ちょっと内容がわからないので説明して欲しいというようなことを言ったが、小林店長から説明はなかったので、二階で、債権者の方から、健康保険や厚生年金はどうなるか、慰労金はいつまで働いたら貰えるか、ボーナスはどうなるかの点を尋ね、小林店長が健康保険はなくなり、この冬のボーナスは貰え、慰労金は一一月末日まで働けば貰えると答え、その日は他にはやりとりもなく、債権者は「よく考えます。」と言った。一一月二五日の直前、小林店長は、債権者に「岨君どうするの。」と尋ね、債権者は「あれ書いて渡しますわ。」と答えたところ、小林店長は「とりあえず応じといてその後のことはそれから考えたらいいわ」と債権者に言った。債権者は、空欄は白紙のままの定時社員雇用契約書に署名して、小林店長に提出した。

6  債権者の平成四年一二月分(同月一日から一〇日締)の実労働時間は五四時間、時間給七三〇円、賃金支給額は三万九四二〇円であって、債権者の平成五年一月から三月までの労働時間、賃金は次のとおりであって、一月から三月の賃金の総支給額の平均は、九万九三四一円である。

労働時間 時間給 総支給額

平成五年一月 一二九・五時間 七三〇円 九万四五三五円

二月 一五二・五時間 七三〇円 一一万一三二五円

三月 一二六・二五時間 七三〇円 九万二一六三円

7  債権者は、父と二人暮らしで、父の年金(月額一五万一八五〇円)と債権者の給与で生活を維持しており、生活費は合計月約三三万円が必要であり、債権者において生活を維持するに必要な生活費は、月額一八万円を下らないが、平成四年一二月以降は、右6のとおりの賃金しか受けられないため、毎月一〇万円近い赤字が累積している状態である。

二  債権者は、新雇用契約書の提出は、債権者において、新雇用契約に応じ、それに署名捺印しなければ解雇される、あるいは、応じない以上退職しなければならないと誤信してなしたものであるから、新雇用契約及び新雇用契約書の提出による新労働条件への変更に対する合意は、契約の重要な要素もしくは明示された動機に錯誤があって無効であると主張する。

右一の事実によれば、債権者に対しては、小林店長から(証拠略)の書面が手渡された際、これを読んで欲しいとのことで、それ以上に詳しい説明はなされておらず、右各書証の記載内容は、一二月一日からは新しいルールで働くことになるとされ、これに応ずるものは会社に連絡するよう(新雇用契約書に署名捺印)求められているのであって、新しい労働条件に同意しなくても勤務を続けることができることを窺わせる記載はなく、これらの文面のみによれば、新雇用契約書に署名捺印して提出しなければ自動的に退職になる、と理解するのが自然であり、また、新雇用契約の内容は、債権者にとって従来に比べ、非常に不利になるものであって、これまでの労働条件の変更の必要性や理由につき説明や説得はなされなかったのであるから、債権者において、これに同意せずに勤務を続けることも選べる余地があると理解したのであれば、これに同意しなかったか、少なくともその点につき質問するなどしてその上で決定したと解されるが、それらの質問さえしておらず、また、右小林は審尋の際にも、定時社員が新雇用契約書を提出することを「続ける」と表現し、当時も定時社員(巽)が新契約書を提出することを「続けます」と表現していたと述べ、当時債務者側においても定時社員側においても、新雇用契約に応じないでも勤務を続けることができるとは理解されていなかったものであって、債権者は、新雇用契約に応じ、新雇用契約書に署名捺印しなければ解雇される、あるいは、退職しなければならないと誤信して、新雇用契約書を提出したものということができる。

そして、債権者の新雇用契約及び新雇用契約書の提出による新労働条件への変更に対する合意は、契約の重要な要素もしくは明示された動機に錯誤があって(右小林は、債権者が新雇用契約書を提出すると述べた際、「とりあえず応じといて、それからのことはまた考えたらいいわ。」と述べており、右小林も債権者と同様、応じなければ退職を余儀なくされると解していたか、少なくとも、債権者がその旨誤信していることを知っていたものであって、債権者と債務者との間に、新雇用契約に応じなければ働き続けられない旨明示されていなくても、これと同視し得る。)無効であるというべきである。

三  債務者は、債務者においては定時社員の新しい就業規則である「定時社員規則」が平成四年一二月一日から適用されていると主張するが、右一の事実によれば、債務者においては、労働条件の変更実施については、各個人から同意を得るという方針を定め、新雇用契約の締結の手続を踏んだものであって、これに同意しなかった者(前記高城冨枝、ただし一一月末に労働組合に加入)は従来の労働条件のまま勤務させており、従来からの労働組合員についても、組合の同意が得られていないことから新就業規則を適用せず、従来の労働条件のまま勤務させているものであって、債務者においては、右新就業規則は、少なくとも、労働条件の変更に同意しなかった者との間では、いまだ実施されない扱いとなっていると解される。そして、債権者については右二のとおり、その同意は、錯誤により無効とすべきものであるから、債権者は従来の労働条件による雇用契約上の地位を有するものと解するべきであって、以上によれば、その地位の保全の必要性もまた認められる。

なお、債権者は、労働条件の内容として勤務内容が学習参考書担当である契約上の地位の保全を求め、なるほど、債権者が学習参考書担当であったことは前示のとおりであり、これを担当する限りは、顧客の動向等を日常的に察知することが望ましいとは解されるが、異なる棚を担当したり、具体的な棚を担当せずに販売及び補助作業を担当しても、職種の変更とはいえず、仮に、本案判決までの期間債権者が学習参考書の棚を担当しなかったとしても、債権者の書店勤務職員としての能力の維持・向上が著しく阻害されるとまでの疎明はなくこの点については保全の必要性も認められない。

四  右一6、7の各事実によれば、債権者が現在債務者から支払われている賃金(月額平均九万九三四一円)の支払のみしか受けられなければ、毎月約一〇万円の生活費が不足し、その生活が破綻することが一応認められ、そのほか諸般の事情をも勘案すると、債務者に対し、四〇万円及び平成六年四月以降、本案の第一審判決言渡しに至るまでの間、一か月一〇万円の割合による金員の仮払いを命ずべき必要性もまた認められる。

五  よって、本件申立ては、債権者の労働条件の地位の保全並びに四〇万円及び平成六年四月以降本案の第一審判決言渡しに至るまで一か月一〇万円の割合による金員の仮払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の申立ては理由がないので、これを却下することとし、事案の性質に鑑み、債権者に担保を立てさせないで、主文のとおり決定する。

(裁判官 関美都子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例